波頭の七つの横顔 原口昇平
T
見つめているのは
運命線を北上する季節風の群れだろう
呼べば
出会うのに たったひとことも
きつきつと狂わず 孤独に回る歯車たち
ひとことも熟さず青いまま落ちる比喩ばかり
U
話すべきことはすべて
窓の向こうにある
強制収容所からようやく帰還した男が
言葉を取り戻すとともに酒に溺れ
ついに風呂の排水口に尽きる物語
けれどああすべてがあの窓の向こうにある
V
あとにはただ尽きるまで
サーチライトのように明滅しながら
肺病の他に何も照らし出さない火を
ずっと遠くへ向かって
ひとつひとつ砂に突き立てていた
誕生日にも 命日にも
W
あなたの映りこむ ひとしずく
ひとしずく 思い出すうちに時間は
閉じたままの眼から流れ込んで
それからは 沈むわが家をすくいだすため
水晶体の奥にひろがる七つの海を
泣き尽くさなければならなくなった
X
もう助けることができない
耳の奥で溺れゆくハナムグリを
そのままにして
トルソを抱いたまま
抱き返されるのを待ちつづけるのか
いつまで 音は暮れずにいるのか
Y
灰皿のなかで
ひとつの挨拶をスローモーションで発音するように
侵されていった肖像の
閉じた眼の変奏曲
金属的な残響にえぐられた
面影がいまだに脳裏を足音もたてず歩いて
Z
夜警が夢の石畳をめくると
ひとひらずつ街は眠るように散り行き
三月
他に記銘もなく
「神に感謝」とだけ書かれた墓石が残る
桜ばかりが目覚めるのだ これから