雨の日に道を尋ねられたあと 落合白文
眠りつくたびに影が薄くなるというのは本当。
駅前ロータリーに集結する送迎車、ヘッドライトをすり抜け
一人の男がやって来る。
彼はメモを差し出し 片言の日本語で映画館までの
道を尋ねた。でもそこは歩いて行くには
程遠い場所で、数年前には閉館していたのだから
用件は台湾旅行の広告の切れっぱしとともに
側溝へ吸いこまれる。あるいは
僕らの姿を映した水たまりは海を渡らず
映画館へ。
ふたたび幕が上がるならば、
今日まで壁に刷り込まれた歴史的雨音を聞くことができるし
ガイド不在で、無理強いされてはいないのだから
エンドロールを待たずに帰ることも可能。
もしかしたら僕ら自身が物語となり
気が狂わんばかりの遠近法によってびしょ濡れの内側まで
フィルムを回し、愛のみを信じよだとか
誠実さを売りに夜通し吹聴してまわることだって。
そして溜め息だろうと接吻だろうと、
セメントに亀裂を走らす
乾いた風であろうと、どのようにして魂が芽吹き
瞬く間に摘み取られ、背を向けた二人が
振り返らなかったかを
だからといって、いまさら濡れた互いの靴下を
思いやることは無用だ。「クソッタレ」
彼にその言葉を教えたのは
どこのどいつだ?