産婆  田代深子



塩漬の蓋から石をもちあげ一の母は
指で塩梅を確かめる 根菜と魚のくさみふくらむ土間
焦げたガスコンロで薬缶の湯がかき立つ 塩大根きざむ
一の母とならび 焙茶たて戸口から 三の母二の母を呼ばう

傾き早い陽の金光におちくぼむ影のふたつ 前掛はらい
髪おろし ひろびろと巻毛のふちだけ金色に 二の母が
夕黒となって斜光ふさぎ 紙巻きの煙が口元から
こぼれている 三の母は虫でも見つけたか頸つきだし 低く
ひくくかがみこみ 畑土中をのぞきこんでいる
寒空を吸いこめば 吸われて猫がにゃあと裏の林から
もどってくる

巣へ帰る高空機たちの群れが朱雲の下 空叩く羽音ならし
ガス釜から噴く湯気の音にかぶった 膳のうえで碗皿が
小刻みする まえに三うしろに三 その三倍の三倍
ならんだ黒い回転翼がゆく クナはあれで墜ちた 機械油
の焼けるにおいが降りて 米の炊けるにおいにかかる

ポンプ漕ぎ二の母は 赤い水に手をこすりあわせ 酒が
あるぞ 先だっていいらしいのをサトの亭主が おまえに
もってきたんだろう あの男前 サトのお産の間ぢゅう
くっついてはなれん 赤くなったり青くなったりかわゆらしい
いい男を逃したものだおまえ 首根が 急須の指先ほどの
熱さで だがもう笑いごとのうちにすむのだった

クナといた研究所の街では 日々二日遅れの新聞が回ってくる
もう誰も目にとめない 遙か極北で 高空機は氷に覆われて
いるのだろう 足にからむ猫をくるり抱き上げ 撫で頬する
みつきのちには 街へもどる 猫も母たちもない壁の夕寒に
もどる 五ヶ月のちにはつぎの研究所の街 一年あとには
また違う

いつのまに三の母が 座敷ふちに腰掛け短いほうの脚を
ぶらつかせる いろいろともらうものだよ きれいなお碗
きれいなお菓子 きれいなタオルをたくさん おあしは
ちょっとで でもきれいな新ぴん札で そろい笑う晩の華やぎ
母たちのかわいた笑いのうち戯れ語り 酔い墜ちて夜半
薄く汗ばむ乳と腋の間に 隠れこむ



この腹腔に輝く氷原がひろがって きりたつ静けさが天つき
磁場膜で高空機はきりもみし 待つと進むの間で墜ちる
底なしの亀裂の壁で ひっかかりずりおちていく奇態な
足掻き 母たちの呼ばう声がきこえ 呼ばう声を
声ばかりを頼りに 凍るささくれ岩の壁を爪で掻きよせ
雪熊のごとく息んで なりもふりもなく 昇る



三の母の逆さ顔が 間近くある 出てきたか うん とこたえ
二の母の差しだす桶に身を絞り喉鳴らして 吐けるだけ吐き
一の母の腕に爪たてすがり 熱く湿る真新しいタオルを噛んで
雪熊のごとく唸りつづけた



  




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