新婚旅行  田代深子


あたらしい ポロシャツとワンピースをまとい空港へ わたしたちは新婚旅行 鍵を何度も確認し腕時計をまた忘れる 砂よけテープをサッシの隙間にはり巡らせヘレンドのカップも大師の札も冷凍保存 お土産用の大鞄をすかすか振って エレベータのジャバラが開けば 旅先のしけった朝風がすでに吹きだすのだ なかにバナナを持って入ってもいいですか? かまいませんが黒くなるまえに召し上がれ あちらでは   虫がきますから 口々に 搭乗口でアテンダントは言い 手渡される銀パックのクリームサンドクラッカーと緑茶ペットボトル

わたしたちは新婚旅行 しかるべき 座にそれらしく着けばテーラー仕立の背広が隣からそっと 投資物件をお考えではありませんか 声をかけてくる はやりの芸人言葉を叫ぶ子どもたちが座の間をぐるぐる走りバナナを何度もみるから どうぞ座ってお食べなさい差し出した束から一本ずつむしり食べ残りはもっていってしまった 機体が いっしゅんかん揺れ沈むと体が浮きみんなどよめく わたしたちはつないだ手をちょっと強く握って笑う この二人より生命保険は父母の助けになりそうな モニタでは広報動画 日が地平線から昇り水平線に沈むあたらしい土地 果樹園や湧き水や馬羊を所有するよろこびを映しだす わたしたちはわずかな日にちの新婚旅行 父母は猫をつれ ふたつ北の高原区にうつりすんでしまった 自家製の味噌など送ってくる

わたしたちは新婚旅行 たいせつなものはみな凍らせてきた なん日か働かずおいしいものだけ食べるためあたらしいポロシャツとワンピースをまとい乗合飛行機で シャワーやドライクリーニングの対価を知りそめている毎日から体を浮かせ きこえる隣のヘッドフォンからはやり歌 街なかではどこでもきいたのに驚いて まったくあたらしい音楽のよう あたらしい   というよりも 稀に露出するあのごく薄い皮膚に 痛むけれどもそこからはじまり全身体の隔壁が緩み宇宙の水のようなものが外から内から染みあふれて涙ぐむ あれ あれを わたしたちは互いを抱くようには抱くことができず ただその気配に眼をふせ耳をそばだてて待ち 出逢えば打たれるばかりで

子どもたちも物売りもアテンダントもおのおのの向きで小橙灯のした横たわり きぬずれと鼾 誰かページをめくり錠剤をかじる 最上階にあるという天窓をのぞけば裏側の星座がみえるのか わたしたちは毛布をかいあわせくっついて 手をつなぎ伏して音をより分けている わたしたちの小さな新婚旅行 眠りさえすればしけった朝風が素通しのテラスで泡立つミルクコーヒーのかおりに驚いて目が覚めるまでは   すぐのはず よりそってもよりそってもかよわい心もちで 眼をつぶり息をかわるがわる吸って互いの背をさする さする手が間遠になるころ あの気配が兆してとける

すかすか大鞄を抱いてしけった朝風のにおいにたじろぐ ではまず おいしい朝ごはんを嗅ぎさがそう 案内冊子に載っている 明るく光る果物をたくさん添えたパンケーキこうばしく煮こんだ魚スープほろほろの鶏とお米のサラダ   泡立つミルクコーヒー そういうものならわたしたちにも見つけられる 誰かれ声をかければ必ず ここははじめてか と口々に ふたりともはじめてですみなさんお元気そうでうれしいです 音とにおいをより分け角を曲がるときにはちょっと強く手を握る わたしたちの新婚旅行 あの音のするほうへ行っていい たいせつなものはみな鍵をかけた部屋で静かに待っている



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